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作業療法学科 昼間部 卒業生

山本 貫太さん

国家試験を目前に控え
担任の先生に補習を志願
壁を乗り越え見事合格を果たすまで

学科 作業療法学科
卒業年度 2021年3月卒業
勤務先 AOI七沢リハビリテーション病院勤務
 
趣味/特技 サウナ
  • 「即戦力の作業療法士になり、患者様の日常に携わることができるようになる」という夢を抱き続けた山本さんの原点とは。さらに、年を経るごとに難しさを増していく勉強に対する挫折も経験しながら、最後には見事に国家試験を突破するという成功体験を支えた、担任の先生やクラスメイトとの絆とは。山本さんに赤裸々に語っていただきました。

    「作業療法士を目指したきっかけは、急逝した母の存在」

    Q. 山本さんが作業療法士を目指した理由について教えてください。
    進路の選択が現実味を帯びてくる高校3年生の春に母親が亡くなりました。急病だったのですが、もともと胸やけや動悸があると言っていたのに、「母は身体が丈夫だから大丈夫だろう」と勝手に判断してしまっていました。結果的に自分が母に何もできなかったことに対して悔しさや未練が残ったのです。母に対してはできなかったからこそ、将来的な仕事の中でそれを返していきたいと感じるようになりました。

    もともと部活では陸上部に所属し、長距離走をやっていたこともあり、理学療法士に興味があったのですが、日常的な動作に携わることができる方が自分には合っている、身体の動きや持久力の向上などリハビリに携わりたいと思い、作業療法士になることを目指しました。
  • 「絶対に即戦力になりたいという強い想い」

    Q. 数ある養成校の中から日リハを選んだ理由を教えてください。
    実は、作業療法学科のある大学を受験したのですが、不合格になってしまいました。その後に日リハの存在を知り、説明会に行ったところ「即戦力として使える人材を育てる」という方針に惹かれ志望しました。作業療法士になることで患者様の助けになれたらと思ってはいたのですが、母のこともあって僕には「即戦力になりたい」「早く自分の夢を叶えたい」という想いが強くあったからです。
  • 「先生に個別補修を直訴、勉強に打ち込んだ日々」

    Q. 4年間の学生生活を振り返っていかがでしたか?
    非常に充実した学生生活をおくることができたのですが、勉強の壁があまりにも高かったですね……。もともと勉強が好きではなかったというのもありますが、2年生から3年生の頃はモチベーションを保つのが本当にしんどくて、遅刻もするし、成績も下がっていく一方でした。その割に定期試験ではなんとか合格できていて、補習組は逃れることができていたことで、お尻に火が付いたのが本当にギリギリで。4年次の最終的な国家試験模擬試験の判定を見た時に顔面蒼白になりました(苦笑)。

    Q. そこでようやく火が付いたと。その時の山本さんはどんなアクションを起こしたんですか?
    その業者模試の判定が「D」だったのですが、これは“極めて困難”を意味しています。だからこそ、意を決して担任の先生のもとへ行き、「補習をしてください!」と直訴しました。そこからは毎日のように先生とZoomで個別補習の日々で、時には夜11時になることもありました。国家試験の過去問題を解いて、解説をしていただくという流れで。
    さらに、クラスメイトとのグループ学習が支えになりました。それまでは勉強する意思が続かなかったのに、それを継続することができて。僕たちのクラスは本当に仲が良かったので、互いに励まし合ったおかげも間違いなくあったと思います。遅刻しそうになったらLINEで起こしたり、チームプレーで支えあうことの大切さを知ることができました

    正直、国家試験を受けた後は落ちたと思っていました。手ごたえもゼロだったので。それでも、本番で一番良い点数を取ることができて、合格を手にしたあの時のことは今でも鮮明に憶えています。「諦めなければ結果はついてくる」ということを、身をもって実感しました。だからこそ、日リハへの入学を検討されている方や、入学が決まった方、今まさに学んでいる方に、伝えたいことがあります。
    「あなたの一番近くにいる人たちは同じ職業を目指している仲間であり、時にはライバルにもなるし、助けてくれる存在でもあります。お互いを支え合い切磋琢磨してください」ということ。どん底から逆転できた僕が言うのですから間違いありません!
  • 「自分の夢を実現するべく回復期の病院へ」

    Q. 国家試験に見事合格され、現在はどのような病院で働かれていますか?
    入職した病院を選んだ理由は回復期の病院だったから。実習では急性期の病院に行ったのですが、そこで担当していただいたバイザーさんやその上司の方からも、「山本くんは真摯に実習を受けていたから、ぜひうちに来てほしい」と言っていただいたのですが、やはり僕自身が作業療法士になりたいと思った大きな理由である「日常的に患者様の生活に携わることができる作業療法士になりたい」という点を考えると、回復期の病院がいいと判断しました。
    急性期での実習中も、受け持ったケースもすぐに回復して退院されたりしていたので、「一人の患者さんに寄り添うことができる仕事をしたい」という自分の理想とは異なっていました。
  • 「作業療法士の仕事にやりがいを感じる日々」

    Q. 実際に作業療法士として働き始めていかがですか? 
    初めて僕が入院から退院まで受け持った患者様に、「技術や知識とかではなくて、どれだけ真摯にリハビリについて考えてくれているのか、貫太くんからはとても伝わったよ」と言っていただいた時は、作業療法士の仕事に対して大きなやりがいを感じました。同時に、患者様は何をしている時も、自分のことをしっかりと見てくれているのだということにも気づきました。そして、患者さんを受け持つ経験が増えて、その方の生活に携わっていると感じることが増えてくると、その患者様のために何が必要なのか、どういう生活が合っているのかということを考えるようになりました。

    日リハ時代は、生来のサボり屋気質な自覚もあって、勉強や課題に追われることがプレッシャーに感じてしまうことがありました。勉強についていけなくなった2年生以降はそれが引き金となって自暴自棄にもなりましたが、「絶対に諦めない」という想いで勉強を頑張り、結果がついてきたことは自分が変わるきっかけになってくれたと思います。仕事を通して、続けていくことの大切さと大変さも学びながら、自分が理想とする作業療法士に向かって一歩ずつ進んでいけたらと思います。