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吉澤明未

Yoshizawa Meimi

高校卒業後、日リハ作業療法学科昼間部に入学。日リハ卒業後は身体障がい分野の病院に勤務を経て、発達障がい分野でNPO法人の放課後等デイサービスや地方自治体の児童発達支援事業所に勤務。その後、2018年7月から約1年8か月間、JICA青年海外協力隊の作業療法士としてエクアドル共和国で活動。現在は地方自治体の児童発達支援事業所に勤務。

吉澤明未さんが語る
南米・エクアドルでの
作業療法士としての日々

日本リハビリテーション専門学校作業療法学科昼間部を卒業後、身体障がい分野の病院に勤務し、NPO法人の放課後デイサービスでの海外経験が豊富なドクターとの出会いを機に、自らも海外でのボランティアを決意した吉澤明未さん。JICA青年海外協力隊の作業療法士として南米のエクアドル共和国で1年8ヶ月に渡って活動を行った激動の日々について語ったインタビューをご紹介。
当時の担任だった深瀬勝久先生との対談もあわせてお届けします

海外での活動を目指した理由

―吉澤さんにはもともと「海外で仕事をしてみたい」というキャリアプランがあったのでしょうか?

私が子供の頃、親が仕事の関係で海外に出張に行くことが多々あり、以前から海外生活に対する願望はありました。ただ、“いつかは行ってみたいな”という憧れの段階で止まっていた想いが具体的な目標へと変わったのは、あるNPO法人が運営する放課後等デイサービスで働いていた時にいらっしゃったドクターの存在がきっかけです。その先生はご自身でモンゴルに診察に行ったり、車椅子を寄付したりされている方で、様々な話を聞かせていただく中で、単に海外で生活するだけでなく「作業療法士として海外で活動したい」という想いに変化していきました。
目標が明確になってからの展開は早かったですね。まずは派遣事業を行っている機関を検討し、数ある中から作業療法士としてボランティアに行けるJICA(独立行政法人国際協力機構)の「青年海外協力隊」を選択しました。母体が大きかったということ、派遣の歴史も長く安全面についても確かなものがあったこと、職種や活動内容も多岐に渡っていた点が決定打となりました。

―その中で南米のエクアドルを選ばれたのはどういう経緯があったのでしょうか?

一次試験は書類選考、そして二次試験は面接という流れだったのですが、そこでは今までの業務経験の中でどのような患者さんを診てきたのか具体的な経験について質問をいただき、異国の地で困難な局面が起こった時に対処できるのかといった資質的な部分が問われました。その際に第三希望まで派遣先の国をリストアップして提出していたのですが、発達障がい分野を診ている作業療法士が少なく、そこの経験の部分も含めて面接の際にエクアドルの施設が自分にはあっていると言われました。
そうして派遣先が決定したのですが、実際に派遣される前に70日間JICAの訓練所で研修を受けました。それはほぼ毎日語学の授業だったのですが、それに加えて実際に派遣されてからも、1ヶ月間はホームステイしながら語学学校に通い、現場に出る前の慣らしの期間が用意されていました。
当初、派遣期間は2018年7月から2年間の予定だったのですが、新型コロナウイルスの世界的流行に伴い、JICAから派遣された全世界の青年海外協力隊隊員は緊急帰国することになり、結果的に現地で活動していたのは約1年8ヶ月でした。

南米・エクアドルの脳性麻痺
リハビリテーションセンターで
奮闘した日々

―エクアドルで配属された現場ではどのような毎日をおくられていたのですか?

私が配属されたのはNGOの脳性麻痺リハビリテーションセンターです。障がいの程度や年齢によって7つのクラスに分かれていました。同センターでは、1歳半の子供から30歳の成人までのべ100名近くの方が通所されていました。利用されているのは、脳性麻痺の方以外にも、知的・身体的に様々な障がいのある方々。この施設にはそもそも作業療法士が在籍していなかったため、私はそれぞれのクラスに入って作業療法の視点で支援方法や、どういう内容で利用者に接すればいいのかを同僚たちに共有し、私自身も個別支援を行いながら活動をしていました。
そんな毎日を過ごしていましたが、仕事のルーティンとしては3ヶ月くらい経つ頃には慣れてきました。ただ、エクアドルの公用語はスペイン語で、コミュニケーションをすぐに取ることができず、こちらがイメージしていることを細かく言葉で伝えることに苦労しました。やはり日本とは文化が異なることもあり、私が日本でやってきたやり方では通用しないという壁にも直面しました。その覚悟はしていたつもりでしたが、実際に現地のやり方に対応できるようになったのは滞在1年が過ぎてからでしょうか。エクアドル人の方々は良い意味での大雑把さがあり、仕事に対しても楽しみながら取り組んでいるのが印象的でした。一方で予定もあってないようなもので、すぐに変わっていくことに対してどうしても戸惑う部分もありました。

(写真)昼食時の食事動作の練習風景。一人で食事を食べられるような動作の練習や、必要な環境設定などを個別に確認している

―作業療法士として支援をされていく中で、吉澤さんの心に残ったエピソードについて教えてください。

私が配属された施設は日本人のボランティア受け入れが初めてだったのですが、アメリカをはじめとした西洋諸国から短期間のボランティアは多く、そういう方々の受け入れをオープンにされている施設だったこともあり、寄贈された物や設備がたくさんありました。ただ、それらを利用者に適した形では十二分に使いこなせていなかったのです。たとえば食事の時間になると、100名を越える利用者に決まった時間内に食べ終わっていただく必要があり、どうしても流れ作業にならざるを得ない状況もありました。せっかく自分で食べることができる方々であっても自分のペースで食べる時間がないなど、そういった部分において細かなケアができていなかったと感じていました。「こう介助したら食べられるよ」とか「スプーンの形もアタッチメントを付ければ自分で持つことができるよ」など、現地であるものを使うだけで変えていけるということを伝えました。それは日本で培ってきた経験や学んできたことが役立ったと感じたことの一つです。そういうアドバイスをしたら、「エクアドルの日常生活で使っているものの中にはこういうものもあるけど、これは使えるかな」と持ってきてくれたりして、それをきっかけに応用することができたりもしました。
印象に残っていることとしては、先の食事の話とも関係しますが、配属先で関わっていた利用者の方が、十数年ぶりに一人で食具を用いて食事をとることが出来るようになったことです。もちろん、様々な要因が重なった結果だとは考えられるのですが、そこに少しでも役に立てたのかもしれないという思いはありました。また、日本では経験したことがなかったプール療法に参加したことも、とても印象に残っています。

(写真)エクアドルの市場

―仕事が終わったオフの生活はいかがでしたか? やはりここでも異文化に対する葛藤などに直面されたのでしょうか?

エクアドル滞在中は、ずっとリハビリテーションセンター近くの家庭にホームステイをしていました。そのご家族がとても良い方々で、何度となく救われる気持ちになりました。ホストマザーと一緒に過ごした時間が一番長く、街のことを教えてくれたり、買い物へ行く時は常に同行してくれたり、時にはイベントごとも一緒に参加したり。逆に、エクアドルの国民性かもしれませんが、とにかく家族を大事にしていますし、人との距離感もとても近いものがありました。お昼はわざわざ一度自宅に帰ってきてみんなで食べてからまた仕事に戻りますし、週末は親戚をはじめ様々な人がやってきては賑やかな時間を過ごしていました。それもあって、時々一人の時間が恋しくなったりもしたのですが(笑)。
私は心配性なので、やはり治安については常に気を配っていました。外出時は、“貴重品は服の中に入れる”や“ダミーのバッグを持つ”など事前にJICAからも指導されていたことを忠実に守るようにして。幸い、大きなトラブルに巻き込まれることはなかったのですが、タクシーに乗った際にわざと遠回りをされるなどの経験はありました。

(写真)地域の集会でのプレゼンテーション実施風景。月に一回行われる地域の集会に参加し、作業療法で行われる支援方法や自助具・福祉用具の紹介などを行う

―そして世界を襲った新型コロナウイルスのパンデミック。エクアドルにはどのような影響がありましたか?

エクアドル国内で初めて新型コロナウイルスの感染者が確認されたのは2020年2月29日のことでした。その方は海岸沿いの地域の方だったので、私が住んでいた場所への影響はなかったのですが、日が経つごとにマスクをつけた方がいいという流れになりました。そしてエクアドル政府は3月中旬にロックダウンを実施しました。その結果、施設もクローズしてしまったこともあり、私はホームステイ先でずっと待機せざるを得なくなりました。それでもできることはやりたいと思い、当初の計画では最後に車椅子に装着できるテーブルを作る予定だったのですが、それを少しずつ作っていきました。結局、JICAから海外協力隊員全員に対して帰国の指令が下され、私は残り3ヶ月ちょっとを残した3月末に日本へと戻ることに。仕方のないこととはいえ、予定の日程を完走できなかったことは大きな心残りにもなっています。だからこそ、もうJICAのボランティアとしては行けないのですが、施設の同僚たちや利用者の皆さん、そして何よりもホームステイ先の家族にまた会いたいので、コロナが収束したらいつかエクアドルを再訪したいと思います。

(写真)エクアドルの街並み

日リハの後輩や作業療法士を
目指す方々へのメッセージ

―エクアドルから帰国され、日本で新たな活躍の場を広げられている吉澤さんのこれからの目標や、日リハの後輩たちや作業療法士を目指す方へのメッセージをお願いします。

今後は、1年8ヶ月の貴重な海外経験を糧に、場所や仕事内容にとらわれず、これからも作業療法士として知識や技術を積み重ねていきたいですね。もちろん、いつかまた海外で活動するという目標は抱きつつ。そして自分の可能性を広げていきながら、作業療法士として色々なことに挑戦していきたいです。
このインタビューを読んでくださった方の中で、自分も海外での活動にチャレンジしたいと思っていただけたら嬉しいですし、その場合は実際に作業療法士として働きながら経験を積み重ねてチャレンジしてもらいたいですね。私が日リハを卒業する際は、まずは病院を探すというやり方が一般的でしたが、今の時代、作業療法士は想像以上に色々な場所で働くことができたり、活動することができたりするようになっていますから。
そして、これから目指す皆さんに伝えたいことは、作業療法士は人の人生に関わるとても責任のある仕事であると同時に、とてもやりがいを感じる仕事でもあるということ。私自身も、目指していた頃から実際に作業療法士として働いている現在まで、様々な人と出会う中で、多くの学びを得ました。それは、人と間近に接する作業療法士の仕事ならではだと思います。この先、様々な現場で活躍する作業療法士が一人でも多く増えていくことを願っています。

吉澤さんの恩師
深瀬勝久先生と語る
日リハ時代

―インタビュー取材時には、吉澤さんの日リハ時代の恩師である、 深瀬勝久先生も駆けつけてくださいました。吉澤さんに学校生活の想い出を伺いながら、日リハの「先生と生徒の絆」を教えていただきました。

吉澤さん もともと社交的な性格ではなかったこともあり、人前で何かをすることが大の苦手でした。それでも授業の中では、発表やグループワーク、実技も含めて絶えず人の視線に晒される機会が多々あり、それを克服することが一番大変でしたね。勉強の量や範囲の広さ、国家試験へのプレッシャーはもちろんのこと。でも、4年間ずっと深瀬先生に担任を受け持っていただき、同じメンバーで過ごしたことで、言葉にはできないくらいの濃密な学生生活を送ることができました。
苦手な分野の内容もプリントにまとめてくれたり、週末には近くのファミレスに集まって勉強会をしたり、実習の時も早く起きられない時はお互いにモーニングコールをかけあったり、クラスの皆で協力し合って乗り越えていきました。誰もが自分のことだけでなく仲間たちのことを考え、共に国家試験に合格するために助け合っていたことが印象に残っています。現在に至るまで長く付き合える友人ができたことも、大きな糧の一つですね。先生方は生徒一人ひとりの特性に合わせて親身にアドバイスや指導をして下さりました。臨床経験が豊富な先生方が多いからこそ、作業療法士としての在り方から、臨床現場での具体的な支援の方法まで、様々なことを学ぶことができたと思いますし、卒業してからも様々な相談に乗ってくださいます。

深瀬先生 吉澤さんは真面目でおとなしい印象が強く、だからこそエクアドルへの派遣が決まった際に報告を受けてとても驚きました。確かにグループワークに苦労していることも感じていましたが、作業療法士は話すだけでなく聞くことも大事な仕事の一つです。自分の意見を伝えたり、人の意見を聞いたりして最終的に判断していく。「今の自分がすべてじゃないから。まずはこの環境の中でがんばってみなさい」と伝えたことを憶えています。
その時のことを記憶しているからこそ、卒業後に努力して苦手を克服し、様々な経験を積み重ねた結果、「海外で作業療法士として活動する」という選択肢も出てきたのだなと思い至り、頼もしく感じたものです。海外でやれるのかどうかの技術的な部分は何も心配していなかったので、「気をつけて行ってきなよ」という言葉をかけました。報告を受けた際に話した時に、4年間で身につけたものを駆使して卒業後に成長した部分を感じていましたので。

吉澤さん 私たちは、先生から「卒業後もふらっと学校に立ち寄っていいからね」と言われています。ですので、O BやO Gはその言葉通り、みんな学校に顔を出しに行くことが多いです。

深瀬先生 卒業生には、良く授業のお手伝いに来てもらったり、学生の前で社会に出てからの体験を話してもらったりしています。教員の僕らが話すよりも、学生たちと年齢が近く、まさに今現場で頑張っている卒業生の声が、学生たちの身になっています。実際に病院でこんな仕事をやっている」という話は、一人として同じものがありません。これから社会に出ていく学生だけでなく、僕たちもそれを聞くのが楽しいんです。だから、吉澤さんにも折を見てエクアドルでの貴重な経験の数々を話していただきたいですね。

吉澤さん もちろんいつでもお声がけください。学校に恩返しさせていただきます! 日リハの先生方は、色々なところで勤務されてきた経験を持つ方がたくさんいらっしゃいます。学ぶ分野のことで質問した時にも、様々な視点でのアドバイスをいただきました。それがのちに社会に出た時に、現場で役立つことになったと思っています。そして、授業内での指導はもちろんですが、多くの実習先で各生徒が学ぶことができることは、実際に臨床現場に出てから即戦力として働いていく力を身に付けることに繋がっていると思います。なにより、深瀬先生からは国家試験合格のお守りまでいただいて、こんなところまでケアをしてくださるのかと驚きました。

深瀬先生 吉澤さんたちは僕が初めて担任したクラスだったこともあり、「全員合格」を実現させるために人数分を買ってきて渡しました。福島県にある日本三大不動のひとつ中野不動尊の合格祈願守りです。僕が学生の時にそこにご祈祷に行って合格したという経緯があったので、その力をクラスの皆に授けていただきたくて。吉澤さんの代のあとは、大宰府天満宮に行って「全員合格!」と書いた絵馬を奉納して、学業成就鉛筆を買って渡したりしているんですよ(笑)。

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