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理学療法学科教員・下村周平先生が語る

下村 周平先生

介護職からキャリアチェンジ
現場で活躍し、教員の道へ

学科 理学療法学科専任講師
専門分野 地域理学療法
主な担当教科 介護保険、介護予防
  • 理学療法学科で教鞭を執る下村周平先生は、介護職からキャリアチェンジのために日リハ夜間部の理学療法学科へ進学されました。そして2008年に卒業後、理学療法士として現場での経験を積み重ね、生まれ故郷の会社へ就職。リハビリの場をゼロから作り上げる仕事に携わる事業に取り組まれてきました。そして、恩師からの誘いを受ける形で2021年4月から日リハの理学療法学科の教員として着任されたのです。様々な面において異色な下村先生のヒストリーと教員生活について話を伺いました。

    Q. 今回、下村先生の個人史を深掘りする企画でインタビューをさせていただきます。まずは日リハ入学前のことについてお伺いします。下村先生は介護職からのキャリアチェンジを目指して日リハに入学されたと伺いました。下村先生はそのお仕事が初めて就かれた職だったのでしょうか?
    実はそうなんです。僕は地方で生まれ東京で育ちました。高校時代からバンドを組むなどカルチャーの影響をどっぷりと受けていて、卒業すると友人たちと劇団を組んで演劇活動をしていました。劇場を借りて自分たちの公演を打ったこともあります。介護職以前の話をするとはまさか思っていなかったので、改めて25年以上前のことを話すととても恥ずかしいですね(笑)。

    Q. 90年代というのは、多くの人がそういう「青い春」を持っていると思うので大丈夫ですよ!(笑) では、そこから介護職に就かれたきっかけというものは何があったのでしょうか?
    アルバイトをしながら劇団の活動をしていたのですが、同時にその日々に対して限界を感じていたのも事実です。その時23~4歳だったのですが、20代中盤が目前になってきて、演劇に対する情熱も失ってしまいました。そうなると、「何かしらの仕事に就かないといけない」と思うようになり、最初は軽い気持ちで「介護職をやってみよう」と就職しました。というのも、地元のおばあちゃんによく面倒を見てもらっていたこともあり、高齢者の方々に対してもともと親しみがあったからです。

    結果的に、最初の職場で勤務していたのは1年半くらいのことでしたが、その間に理学療法士や作業療法士の業務内容を知りました。それ以前にはそれら職業の存在は全く知らなかったですし、仮に知っていたとしても興味すら持たなかったと思います(笑)。それが介護の仕事をしていくうちに、これから先の自分のキャリアのことを考えた際に、「何か一つは手に職があったほうがいいだろう」と考えるようになりました。

    先ほど申し上げたようにおばあちゃんっ子だった僕は、介護職を通して高齢者の方と接するのは全く嫌ではありませんでした。実際に仕事をしてもその思いは変わらなかったのです。だからこそ、この職に関連した分野の中で今後に活かせる資格を取得したいと思いました。

    さらに、勤務先の更衣室の隣がたまたまリハビリ室で、そこでどんなことが行われているかを毎日見ていたことで、理学療法士の仕事が具体的にどのようなものかを肌で感じることができたという、まさに偶然がもたらしてくれたものもありました。

    このように、皆さんに胸を張ってお伝えできるようなかっこいい理由や動機で理学療法士を目指したわけではないのです。現在のように介護職が重視されていなかった時代にその職に就いていましたが、理学療法士が「将来的にAIに取って代わられない職業」として認知されるようになるなど当然思ってもいませんでした。ただ、自分にとっては悪くない仕事だと思える日々を送っていく中で、目の前でそういう資格を有した人たちが活躍されていた。そして、運よく「就職したらうちにきなよ」と言っていただける人にも恵まれ、様々な要素に導かれるようにして理学療法士になる道を選んだというわけです。
  • 「“貯金ゼロ円”から日リハ夜間部へ入学」

    Q. 下村先生が介護職からのキャリアチェンジを決意され、理学療法士を目指すにあたって不安に感じることなどはありましたか?
    やっぱり学費面が一番心配の種でしたね。介護職の仕事をしていたとはいえ、当時は貯金なんてしていませんでしたから(笑)。これは本当に誇張一切なしで、「ゼロ円スタート」だったんです。高校卒業から劇団を経て介護の仕事に就いているので、「専門学校の授業料」が一般的にどれくらいかかるものなのかすら知りませんでした。そこから調べはじめておおよそ必要な金額を知り、さてどうしたものかと。

    奨学金があればまかなえるかなと思ったものの、よくよく調べてみたら借りられるかどうかが決まるのは入学後ということで。「審査に落ちたらどうしよう……」と不安は膨らんでいく一方でしたね。結果的には運よく奨学金をいただけることになったので良かったのですが。それでも入学金を用意する必要があり、国民金融公庫で「教育ローン」を組んで、そこからのお金を充てました。

    ゼロ円スタートだったので、入学段階で抱えるものは大きかったのですが、それほど悲観的ではなかったのも、「卒業後はうちにきなよ」と言っていただけていたからですね。資格さえ取ることができれば就職の心配はないと思っていました。時間はかかっても将来的に返済できる見込みがあったというのは大きかったと思います。

    Q. もちろん他校も検討されたとは思いますが、比較して日リハ夜間部を選ばれた決定打はあったのでしょうか?
    当時の職場が渋谷にあったのですが、17時に仕事が終わり、そこから通学して18時からの1時間目の授業に間に合う範囲であることは条件の一つでした。自宅から職場、そこから学校、そして自宅へというサイクルを4年間に渡って続けていく必要がある中で、移動のストレスは極力減らしたと思いました。ですので、日リハが山手線沿線の高田馬場にあったというのはすごく影響しました。

    それ以外の決め手はもう「直感」です。それでも、即戦力を育てるという日リハの方針は、出口が決まっていた僕にとってもありがたいものでした。やはり返済しなくてはいけないものが多かったので、入学後は「授業の内容についていけるだろうか」「実習をうまくやれるだろうか」といった学びに対する不安は一切ありませんでした。むしろ、「これだけのお金を投資したんだからやるしかない!」と覚悟を決めていたので、4年後の国家試験に向けてまっしぐらに突き進むだけです。

    渋谷で月曜から土曜まで週6でリハビリ助手の仕事をして、残る日曜日に集中的に勉強するという生活をおくりました。今だから話せることですが、当時は解剖学の先生が怖くて怖くて(笑)。ノートをしっかり作っていかないとその先生から叱責されてしまうので、日曜日だからといって休んでいる精神的余裕はなかったですね。

    今振り返ってみれば、プライベートもほぼなかったに等しいですし、「大変なことをしていたな……」とは思いますが、当時はそんなことを考える余裕すらなく、本当に「目の前のことをこなしていく」ことで精一杯。とにかく「無事に資格を取得して卒業したい」という一心で毎日を過ごしていたのです。勉強に費やした4年間でしたが、実技の授業のレベルも非常に高く、そこで指導していただいた内容は、卒業後に大いに役に立ちました。
  • 「日リハ夜間部で過ごした日々と実習の思い出」

    Q. 下村先生の学校生活がどんなものだったのかを教えてください。夜間部のクラスはどのような感じでしたか?
    一言で表現すると「大人の雰囲気を持ったクラス」でした。夜間部ですので、クラスは社会人経由の人が多かったですね。みんなそれぞれが考え抜いた結果、夢や目標に向かってキャリアチェンジを選択し、日リハに入学していました。現状を変える必要があるからこそ理学療法士になる決断をした。でも失敗してしまうこのあとどうなるか先が見えなくなってしまう。だからこそ、「もうあとがない」という私自身と似たような感覚を抱いている人がたくさんいましたし、勉強に対する意欲がみんなとても高かったことを憶えています。

    さぼるということとは無縁で、むしろさぼってしまうとせっかく払った学費がもったいないという感じでした。悪い影響を及ぼすような人もいないし、うるさく感じることもない。僕としてはとてもやりやすい環境で、このクラスで4年間を過ごすことができてとても充実していました。“同じ釜の飯を食う”ではないですが、同じような状況の人が多かったので、互いに支え合うことができたと思いますし、今となってはそういう人たちがいたからこそ頑張れたと言えるかもしれません。

    Q. 実習はどうでしたか? 印象に残っているエピソードがありましたら教えてください。
    長期実習先は青森県の病院でした。同じ年で仲の良い同級生と同じ実習地だったので、晩ご飯を一緒に食べたりして。正直言って、実習そのものはとてもしんどくて、「もう一回やれ」と言われたら「嫌です」と断ると思います(笑)。厳しい毎日の一方で、気の置けない同級生と長い時間を過ごしながら、どこか青春の続きのように楽しんでいる自分もいました。

     それでも、あの実習の日々があったからこそ、その後の仕事の役に立ったという面も確実にあります。そういう意味では、当時教えてくださったバイザーの方や、僕の担当を受けてくれた患者さんにはすごく良い経験をさせていただいたので、とても感謝しています。
  • 「異色の理学療法士として活躍し、日リハの教員へ」

    Q. 国家試験に合格され、晴れて理学療法士としての道を歩むことになった下村先生は、「卒業したらうちにきなよ」と声をかけてくださったところに就職されたわけですが、そこではどのような仕事をされていたのでしょうか?
    お声がけいただいた病院では約3年半勤めました。ゼロ円スタートだった僕には、卒業と同時に返済義務が発生するものがたくさんあったわけですので、まずはそれを完済することに重きを置きました。

    そして、その病院にお世話になり、理学療法士として研鑽を積んだ後は、生まれ故郷に本拠地を移すことを決意。そこで新たな仕事をはじめ、約10年間を過ごすことになりました。

    その仕事は病院などの勤務ではなく、理学療法士が起業した介護関連の会社です。会社そのものは98年に設立されたのですが、僕もそこに合流することになりました。その会社は在宅分野の中でも、利用者が可能な限り自宅で自立した日常生活を送ることができるようにする「居宅介護支援」を中心にスタートした会社で、その後は訪問介護やデイサービス、有料老人ホームなど様々な領域の展開をしていきました。そこで勤務しながら、論文を発表したり、学会に参加したり、様々な研究に参加するなど、現場以外の仕事も増えていったのです。

    Q. そこから日リハに教員として戻ってくることになったわけですが、それはどういう経緯だったのでしょうか?
    現在の理学療法学科の阿部靖統括学科長は、僕が2年生の時に日リハに着任されたのですが、在学中から阿部先生に色々な相談に乗ってもらってお世話になりました。そして、卒業後もずっと連絡を取り合っていました。「日リハの教員として戻ってくる気はないか」と阿部先生からお声をかけていただいたのは、実際に着任する1年前のこと。正直、そこから1年間悩み続けていました。まさか「自分が教員になる」という選択肢があるとは思ってもいませんでしたから。最終的には「こうしてお声がけいただいたのも何かのご縁だろう」と思って、教員になることを決断しました。

    Q. 1年間も悩まれたというのは、それだけ下村先生にとって福井県でやられていたお仕事が充実していたということでもあったわけですね。
    僕にとって、キャリアの大部分を占めていたのが、地元の会社で従事していた在宅分野に関する仕事でした。社長とともに色んな場所をまわりながら事業のやり方を教えてもらいましたし、実際に新規事業を任せていただいたこともありました。

    僕がその会社で携わっていたことを少し説明させていただくと、例えば理学療法士の仕事は患者さんと接してリハビリをすることが一般的です。往々にして理学療法士は、病院をはじめとして「リハビリをする場」でその真価を発揮するものです。逆に言えば、仕事ができるのはその場があってこそでもあります。僕がやってきたのはその前段階から携わること。事前準備をして予算を組んで事業として起こし、リハビリの場を生み出す。それらをクリアした上で、初めてセラピストが入ってきて各々の能力を活かしてもらえるわけです。ゼロからイチを作り上げて軌道に乗せるという、普通に理学療法士として働いていたら絶対に得られないであろう貴重な経験をその会社で積ませていただいたのです。それが今の僕のベースになっているのは間違いありません。
  • 「自らの経験を昼間部と夜間部の学生に伝える」

    Q. 1年間の熟考を経た末に教育の現場に携わられることを決意されたわけですが、実際に教える立場を経験されてどんなことを感じていらっしゃいますか?
    自分が教わった恩師とともに仕事をさせていただくことが、最初はとても不思議な感覚でした。教員としての生活は、このインタビューの時点では1年半しか経過していませんが、その中でも感じたことは多々ありますし、試行錯誤の毎日をおくっています。僕は社会人から教員へ戻った立場でもあるので、社会人経験者も多い夜間部の子たちには、授業の中で僕の実体験も踏まえて話をした時にすんなり伝わるところもありました。一方で、まだ高校生活しか経験をしていない昼間部の学生たちには、僕の経験談がどこまで自分ごととして伝わるのだろうかという思いもあります。

    とはいえ、昼間部の学生たちも、当然悩みながら日リハに来ている子も多く、進路は理学療法士でいいのかと思いながら授業を受けている子もいるわけです。そこで、「理学療法士はこういう分野だと思われがちだけれど、たとえばこういう風な選択肢だってあるんだよ」と自分の経験を積極的に伝えていくことで、彼らの知見が少しでも広がればいいなと思っています。

    僕が経験してきたことは、「オルタナティブな理学療法士としての道」の具現化でもあると思っています。それを伝えることで、同様の考えを持った理学療法士が増えることにつながったり、生徒たちが成長していった時に鳥瞰的視点から理学療法士というものを捉えて事業ができたりすれば、間接的に社会の役に立つことができるのかなと思って授業をしています。たとえ、僕が伝えた時にその場では十分に理解できなかったとしても、彼ら彼女らの心の片隅にそれが残り続けて、やがて社会人になって理学療法士として働きはじめたどこかのタイミングで、「あの時に下村先生が言っていたのはこのことだったのか!」と思い至ってくれたらこんなに嬉しいことはないでしょうね。
  • 「理学療法士を目指す方や夜間部を検討される方へのメッセージ」

    Q. それでは、最後にこれから理学療法士を目指す方や、日リハの夜間部を検討される方々へ、メッセージをお聞かせください。
    先ほど、昼間部でも悩みながら色々考えて日リハを選んだ生徒が多いとお伝えしましたが、夜間部を選ぶ学生は当然それ以上に多いと思います。現状の自分のキャリアのことであったり、将来のことであったりとか。理学療法士も作業療法士も、これから先も需要がある仕事の一つと言われていますが、努力した人と努力しない人の間で大きな差が出てくるのも現実です。それはどのような分野でもそうですよね。「努力は必ず報われる」というような綺麗な言葉を伝えることはできませんが、「報われている人は必ず努力をしている」ということは間違いありません。

    それに、日リハは4年間もありますので、途中で目標が変わることだって十分あり得るわけです。やりたいことが途中で変わったり、「こう思っていたけれど、やっぱりこっちだった」と方向転換したりとか。そのような変化が起こったとしても、何かに向かって努力を続けていれば、それはきっと形になると思います。たとえ今の時点でゼロだったとしても、続けていくことで形にしてイチにすることができるはずです。

    だからこそお伝えしたいのは、どれだけ悩んでいたとしても、前に向かって一歩を踏み出さないと何も変わらないということ。もしもこの世界に興味があって、少しでもやりたいと思っているのであれば、僕のようにゼロ円から飛び込んだ人間もいるわけで、一歩踏み出してみると周りの世界は変わると思います。もちろん僕の真似をしろとは言わないですが(笑)。

    一方で、僕自身も経験しましたが、夜間部での4年間は決して楽であるとは言えません。アルバイトと勉強を両立させなくてはいけないので生活が大変になります。それでも、4年後に資格を得て自分のキャリアを構築していけることを考えれば、乗り越える価値があるものです。

    勉強のこと、進路のこと、自身が苦労したことなど、僕が持っている知識や経験を伝えることで少しはアドバイスができると思っています。数々の失敗を重ねながらも、「こんな人間だっていたんだよ」と背中を押してあげることができたり、勇気づけてあげられることができれば、僕の存在意義はあるのかなと。悩んでいる皆さん、ぜひ日リハでお会いしましょう!
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