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アスレティックトレーナーから理学療法士へ|プロ野球球団のトレーナーになる夢を実現

2023.03.06

トピックス

春から、北海道の旭川に新設される独立リーグの野球チーム『旭川BeːStars(ビースターズ)』でトレーナーとして働くことが決まった理学療法学科 夜間部4年の倉持博樹さん。

 

「プロ野球の球団のトレーナーになりたい」
18歳で抱いた夢を、9年後の今叶えました。

 

どうやって叶えたらいいのかわからず、周囲から無理だと言われても、諦めることなく行動し続けた倉持さんに、お話をうかがいました。

Part.1 アスレティックトレーナーから理学療法士へ

 

 

Q.元々AT(アスレティックトレーナー)として働かれていましたが、なぜATだったのでしょうか?

 

小学生のとき野球をやっていたので、野球に関わりたいとは思っていました。ある日、テレビで野球選手とトレーナーのドキュメンタリー番組を見て「これだ!」と感じたんです。

 

実は高3の1月まで進路が決まっていなかったんですが、そのテレビ番組を見てすぐ専門学校の説明を聞きに行きました。そこで「どうやったら野球のトレーナーになれますか」と質問をしたら「ATの資格が必要」と言われて。そのままATの専門学校に入りました。

 

Q. ATの資格取得後はどのように過ごされていたのですか?

 

ATとして整形外科で働いていました。勉強会に参加した際に、球団の人事担当の方とお話しする機会があって、「どうしたらプロ野球にトレーナーとして入れますか」と聞いてみました。そしたら「国家資格を持っているか、アメリカでトレーナー経験がないと履歴書も読んでもらえないよ」と教えていただて。自分は全然足りていないんだと気付きました。これは国家資格が必要だなって。

 

Q.球団に入るための「暗黙の条件」のようなものを教えてもらったのですね。医療系の国家資格もいくつかありますが、なぜ理学療法士を選ばれたのでしょうか?

 

 

 

 

最初は鍼灸師も考えましたが、自分は「鍼(はり)」と「灸(きゅう)」を打つ仕事がやりたい訳ではないなと思い直しました。自分は選手の身体全体のトレーニングに関わりたいと思っていたので、神経などの身体の内部にも関わる理学療法士を目指すことに決めました。

 

Q.入学前から今もずっと茨城県にお住まいですが、東京にある日リハに進学した理由はなんでしょう?

 

理由は2つあります。1つは当時働いていた整形外科が都内にあって、その整形外科に偶然日リハの夜間部に通いながら働いていた方がいらっしゃったことです。

 

もう1つは「医療としての勉強」をしっかりやりたかったからですね。スポーツ系に強そうな理学療法士の専門学校も見学に行ったのですが、自分はスポーツ特化というより医療としての側面からも学びたかったので、実習先や分野が幅広いと言われる日リハに入学しました。

 

Q.実際に理学療法士の勉強をしてみて、ATとは違いましたか?

 

違いました!もちろん整形外科など重なる部分もあるのですが、中枢疾患や呼吸器、循環器などは全くやったことがなかった。日リハ入学当初は、大脳とか脊髄とか全然わからなかったです。笑

 

Q.プロスポーツに関わりたいと思うと「スポーツに特化した勉強だけしたい」となってしまいそうですが、いろんな視点や知識が必要と判断されたのですね。

 

日リハでの実習は「なるべくスポーツと無関係な施設にしてほしい」と先生にお願いしました。実習先は今まで経験していなかった分野で、新たな発見や気付きもあって本当に学校に通って良かったと思いましたね。

 

実際に今個人事業でパーソナルトレーナーをやっていますが、実習や日リハで学んだ知識がとても役に立っています。例えばただトレーニングするにしても、その人がどういう疾患を持っているのか、どんな食生活をしているのか、それがどう身体やトレーニングにつながってくるのか、すべて総合してリスク管理ができるようになりました。

Part.2 夢を叶えるためには自分で動き、とにかく飛び込むこと

 

 

Q.「スポーツに関わる仕事がしたい」という夢を持っている方は多いと思いますが、倉持さんにとって夢を叶えるのに必要なことは何だったでしょうか?

 

とにかく諦めずに、色んな所に飛び込んでみることですかね。そして「自分はスポーツに関わりたい!」と発信を続けることだと思います。

 

自分の周囲には、スポーツに関わりたいけど諦めたという人が結構いました。叶える方法がわからなかったと。でも自分も叶える方法はわかりませんでした。勉強会に参加してみたり、「将来何をやりたいの」と聞かれたらすぐ「プロ野球に入りたい」と答えるようにしてみたり、とにかく発信していたんです。

 

叶うわけがないと笑われることもありましたが、思った以上に情報やアドバイスをくれたり、助けてくれる人もたくさんいました。

 

Q.実際、周囲からどのような情報やアドバイスがあったのですか?

 

ATとして働いていた当時、同じ勤務先にプロ野球選手のパーソナルトレーナーをしていた先輩がいて、「どうしたらプロ野球のトレーナーになれますか」と聞いてみたんです。そしたら「自分で何かチャンスをつかみに行かなきゃ」とアドバイスをもらいました。

 

その先輩から、メジャーリーグの日本人選手のパーソナルトレーナーをやっていた理学療法士の方の勉強会があると紹介していただきました。

 

Q.自ら発信したことで、情報が広がったんですね。すぐその勉強会に参加されたのですか?

 

勉強会に参加するにも条件が厳しくて大変でした。参加するのに面接と小論文、体力テストがあって。実は面接で1回落ちたんです。落ちた理由は明白で、自分に自信がなかったから。当時、職場でATとして理学療法士の方と一緒に働いていても、自分は知識や経験がなくて何も知らないのを痛感していた時期で。

 

ただ勉強だけして資格を取っても、現場で必要とされる知識や力をわかっていなかった。面接で「今、君にチームを引き継ぐと言ったらどうする」と質問されたとき、自分に自信が無くて、「凄い方の後任になるので今すぐ『はい』とは言えません」と答えてしまいました。

 

Q. 現場で必要な力の厳しさを知っていたからこそ、飛び込めなかったんですね。

 

 

 

 

面接後に「チャンスが来たら、すぐ飛び込まないとダメだよ」とフィードバックをいただいて、「失敗したな」と思いました。でも諦め切れなくて、帰りの電車の中で勉強会の事務局宛に「なぜそんな回答をしてしまったのか」「今後自分はどうなりたいのか」を4000字くらい書いてメールで送りました。もう1回チャンスをくださいと。結果的に勉強会に参加することができました。

 

Q.就職活動はどのようにされたのでしょうか。

 

球団の求人はほとんど出回りません。求人として情報が出る前に、すでに応募がきているんです。自分はとにかく情報収集してどんどん履歴書を送りました。例えばそのシーズンに怪我人が多かった球団とか夏バテで勝てなかった球団に、1チームずつ違う履歴書を作成して「自分だったらこう貢献できます」とアピールしました。

 

あとはSNSも活用しましたね。SNSで「トレーナー」とか検索すると「今日はトレーナーさんのラストゲームです!」みたいな投稿がたまに出てくることがあって。ここ枠空くじゃん!と思って履歴書を送ってみたりしました。

 

移動中はずっと検索かけたり調べたり、とにかくどんな小さいニュースも見逃さないようにしていましたね。

 

Q.今回の就職先も、そういった情報から得たのでしょうか。

 

そうですね。就職が決まった『旭川BeːStars(ビースターズ)』は、最初ネットニュースに小さな記事で「旭川に野球チームができる」という情報だけでした。まだチーム名も今と違っていましたし、ホームページもなかった。ただその記事に問い合わせ先だけ載っていて、すぐそこにメールを送りました。

 

Q.最後に「スポーツ業界で働きたい」という方へメッセージをお願いします。

 

自分で動き、飛び込んでみることは本当に大切です。あとは競技の情報をしっかり集めること。どのスポーツでもネット情報を鵜吞みにせず、チームに直接問い合わせてみたり、詳しそうな人の話を聞きにいったりして生の情報を集めると、具体的で活かせる情報がきっとあるはずです。

 

最後はやっぱり諦めないこと。自分の知人で、40代になって初めてチャンスが巡ってきたという人もいます。いつチャンスが来るかわからない。諦めずに、ぜひ頑張ってください。

 

 

旭川BeːStars公式サイト

 

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